師匠のこと

私にとって竹カゴはとても特別なものです。
竹カゴを通して出会ったご夫婦がいます。

気持ちが折れそうになったとき二人の顔を思い出すと、

がんばらないと、という気持ちが戻って来ます。
竹カゴに魅かれたのは結婚して少し経った頃のことでした。

主人の祖母が畑で採れた土つきのじゃがいもを竹カゴに入れてくれました。

泥まみれの手付のカゴでしたが、なんとなく可愛いなと思ってきれいに洗って

家の中で使っていました。

一年ぐらい使った頃、ふと見てみると明らかに様子が変わっていました。

竹の青っぽさは無くなり、艶を帯びて美しい黄色になっていたのです。

竹とはこんな魅力的な素材だったのだと初めて知りました。
それからは、車で走っていても竹林が目に入り、あのまっすぐに伸びた竹が、

どのように加工されて繊細な編み目のカゴになっていくのか気になり、

その工程を自分の目で見てみたいと思うようになりました。
そんなことを考えていたころ、すぐ近くで竹細工を教えてくださる方の

存在を知りました。
私の師匠。

年齢は80歳でした。

でもおじいちゃんという印象はあまりなく、大柄で、話し方、目線、対応の仕方・・・

全てに威厳を感じる方で、いつも少し緊張しながらお会いしていました。

壁には大きな会社で長年勤めあげられた賞状が掛けてありました。

「竹細工、習いたい言うひとはたくさんおるんやけどな、なかなか大変やぞ。

まぁ、いっぺん見てください。アカンと思たらやめてください。」

そう言って、一つひとつの工程を見せてもらい、やらせてもらう。

そんな感じで始まりました。
でもその頃、以前から患われていた肺癌が悪くなっていました。

苦しそうに咳き込まれたり、ティッシュに吐血されることもよくありました。

だから、こんな手がかかる生徒が習い続けるのが心苦しくなって、

やめようかと思いましたが、「別に一人でもこんな感じでやってる。」

と言ってくださるので、その言葉に甘えて通っていました。
ほどなくして、私が妊娠し、つわりがあったりでしばらく通えずにいました。

つわりが落ち着いた頃連絡があって、だいぶ病状が悪いから今のうちに

来てほしいと言われました。

久しぶりにお会いすると、まっすぐ目を合わせられないくらい痩せられていました。

「痩せたやろ」と言われて、「そんなこと・・・」というのが精いっぱいでした。
私が作った唯一のカゴの仕上げがあと一歩というところまできたとき、

もう時間がないから早く来てほしいと連絡がありました。

もういい、と言いましたが、「どうしても伝えておきたい」と言われました。

家に行くと、いつもの部屋ではなく寝室に呼ばれました。

もう自力では起き上がれず、奥さんが寝間着の首元を引っ張って上半身が

やっと起き上がる状態でした。息も途切れとぎれで・・・

私はもう泣きたくなって、とにかく一分でも早く帰らなければと思いながら、

おそらくこれが最後の教室になるのだろうと覚悟しながら、

師匠の言葉、顔、今日の姿を忘れないよう心に刻もうとしていました。

 

その後、無事に初めての出産を終え、退院して実家で養生していると、

師匠から着信がありました。奥さんでした。

私の出産から1週間もたたないうちに旅立たれたということでした。

もう本当に限界だったんだ。竹カゴなんてどうでもいいのに!

無理をさせてしまった。

取り返しのつかない申し訳なさで、奥さんに電話口で謝りました。

 

しばらくして奥さんから手紙が届きました。

息子に、と白い手編みのベストと一緒に。

そこには、「主人は貴方にもっと教えたかった様で残念だった事と思います。」

と書かれていました。

竹かごは、出来上がりの美しさに、どうしても『編む』という部分に

目がいきがちです。

しかし、竹を採り、竹を割り、ひごを作る。

そんな大変な労力と熟練した技術が作業のほとんどを占めます。

手仕事のものはそんなものが多いのかも知れません。

そういうものだから、その工程を知らなくとも、

手に取った時にため息が出るような感動があるのかもしれません。

 

命の灯が消えそうになりながら、師匠が若い世代に伝えたいと思ったことは

なんだったのか。

想像することしかできないけれど、私なりの解釈でこの仕事を通して

繋いでいきたいと思っています。